2011年6月12日日曜日

毎日新聞の記事

毎日新聞(2011612日朝刊)の記事を、以下に紹介します。

東日本大震災:原発事故で帰れぬ避難者 川崎市民がサロンで支援/神奈川

◇発生3カ月 悩みに耳を傾けよう
 東日本大震災の発生から11日で3カ月を迎えた。首都圏で暮らす被災者の中には、長引く避難生活に望郷の念を募らせながら、東京電力福島第1原発の事故で帰郷のめどが立たず、苦悩する人も多い。そんな被災者の悩みに耳を傾けようと、川崎市宮前区では地域住民がサロンを開き、支援に取り組んでいる。
 県が被災者向けに用意した同区の公務員宿舎には、約30世帯が暮らす。福島県富岡町の60代の女性はため息をついた。「もう、3カ月なんですね」
 夫と2人で、地震が発生した日の夜に車で町を出た。福島県郡山市の避難所など3カ所を転々とし、川崎にたどり着いた。富岡町は全域が警戒区域となり、帰郷はかなわぬまま。「生まれ育った古里を忘れることは、一瞬たりとてない」が、あきらめにも似た言葉も口を突く。「国の対応を見ていると、原発問題が収束に向かうと思えない。もう富岡には帰れない」
 疲労感が漂う避難者を支えようと、地域住民が5月1日、公務員宿舎の一室に避難者向けの「ひまわりサロン」を開設した。地元の民生委員らが午前と午後に詰めて話し相手となり、衣類から食器まで地域住民が寄付した支援物資も並べ、自由に持ち帰ることができるようにしている。
 発起人の一人、宮前第3地区民生委員協議会の目代由美子さんは「宮前に溶け込んでほしく、サロンは集会所をイメージした。皆さんが一刻も早く家に帰れるよう願っているが、宮前で暮らす間はつらい思いをさせない」と力を込める。
 サロンはいつもにぎやか。避難所で前向きになれなかったという女性だが「サロンは気軽に行けて思いを聞いてもらえる、心のよりどころ。いつも不安だが、ここにいると嫌な気分が和らぐ」と感謝の思いを口にした。
【倉岡一樹】

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